「功労賞とは」

3月に行われた生徒会主催「三年生を送る会」では毎年、生徒会主催の演奏会や文化祭などで最も活躍したと1,2年生の生徒会役員が思った3年生の有志団体に「功労賞」が贈られています。今年は男子6人のジャズバンド「691*324」と、女子2人のピアノアンサンブルグループ「たいやき」 の2団体が受賞しました。部活動のない本校でどのような有志活動が行われているのかを皆さんに知っていただくために、この2団体を紹介したいと思います。
功労賞有志団体特集第2弾として、「691*324」(ろくきゅういちさんによん)の紹介です。このバンドは五十嵐智輝さん(ピアノ専攻)、川本千広さん(作曲専攻)、春原智之介さん(音楽総合コース)、竹葉奏斗さん(音楽総合コース)、吉田松太郎さん(クラシックギター専攻)、渡邉悠太さん(トランペット専攻)の多彩な男子6人によるジャズバンドですが、メンバー自ら自分たちの活動を語ってくれました。

まえがき

先日の2時間にも及ぶワンマンライブを終え、やっと安堵の気持ちで休みを過ごしていたところ、生徒会担当の林先生から“691*324を紹介する記事をwebに載せたい“と依頼を受けた。一つの区切りとして、バンドの成り立ちや出演したライブ、その中での思い、編曲した曲の紹介等々を五十嵐、竹葉が代表して書き綴っていきたい。

3月に行われたワンマンライブ(ラストライブ)のプログラム
3月に行われたワンマンライブ(ラストライブ)のプログラム

「バンドの歩み」(執筆:五十嵐さん)

691*324について語るとなると、毎回初期の3人(五十嵐・川本・竹葉)だった頃から話すわけだが、今回はその“少し前“について軽く触れたい。元から3人で結成されていたのではなく、当初は川本・竹葉の2人で高1の文化祭に向けて動いていた。そこへ仲間に加えて欲しそうに、何度か五十嵐が首を突っ込んでは3人で話をしていた。やがて竹葉から加入の誘いを受けて、691*324の初期メンバーが揃った(確かな日付は分からないが、LINEのグループが作られたのは9/25だったので恐らくその辺りだろう)。最初の活動は楽曲制作。3人で曲を作り、作詞をし、ボカロに歌わせた。

バンドとしての活動は3月の三送会が最初だ。編成はピアノ(五十嵐)、ベース(川本)、ドラム(竹葉)のジャズトリオ。ドラムの設置の都合で練習が2月下旬からしか出来ず、一時は出演を辞退するか顧問の前田先生と話した。結局なんとかなりそうな雰囲気を先生含め全員感じ取り、「夜に駆ける」をジャズワルツにアレンジして演奏した。この段階で執筆者自身、卒業まで細々とジャズトリオをやっていくのだと思っていたが、まさか6人体制のバンドになるとは考えもしなかった。

我々が高2の頃、コロナで幻に終わった新入生歓迎コンサートは動画を出すのみだった。…正直それ以上触れることがない…。

さて同年の文化祭、トランペットの渡邉が加入した。演奏したのは「聖者の行進」と「丸の内サディスティック」。この時、練習室争奪戦の激化によりほとんど練習出来ておらず(メンバーの予定が合わなかったのもあった)、”たいやき”のお2人に208の使用を譲ってもらった記憶がある(注:208教室には2台ピアノとバンド用機材の両方があります)。

2度目の三送会。遂にギターの吉田が加入。元々彼がpupple’sという別のバンドの活動もあったことから、当初はこの時限りのサポートメンバーの予定だった。しかし691*324のスタイルに馴染んだというか、いつの間にかメンバーになっていた。ここではショパンの「別れの曲」をボサノヴァにアレンジしたものと、ずっと真夜中でいいのにの「あいつら全員同窓会」を演奏した。「あいつら全員同窓会」は観客の盛り上がり方が凄まじく、大成功と言う他なかった。吉田の加入はこのバンドの可能性を大きく広げ、大発展を遂げることになる。

3年最初のステージは新入生歓迎コンサート。この時からパーカッション担当の春原が参加していたが、吉田と同じく元々はサポートのような立ち位置だった(しかし春原も気づけばしれっとメンバーになっていた)。演奏したのはサカナクションの「新宝島」とT-SQUAREの「宝島」。この二つをやるのは(曲名の点で)ネタ的な意図もあったが、「宝島」の作曲者である和泉宏隆氏が2021年に亡くなったというのもあり、追悼の意味も込めての選曲だった。

2度目の文化祭では前代未聞の30分に及ぶ演奏に挑戦した。6人全員での演奏はもちろん、4人の時の編成でジャズのスタンダードである「枯葉」や、初期メンバー3人で「人生のメリーゴーランド」というように、691*324のこれまでを振り返るような時間に出来たと思う。初めて208で演奏した訳だが、観客との距離も近くて盛り上がりもよく伝わり、そこまで広くなくても中々悪くないなという印象だった。この段階ではラストライブの予定はまだなく、我々もこれで終わりとばかり思っていた。

最後にラストライブについて書いていくが、元々はクリスマスライブを12月最後の登校日に開催する予定だった。しかし予定日の翌日から冬期講習会があり、代替案としてラストライブを卒業式翌日の3月に行うことを提案された。もちろん我々はかなり乗り気だった。…地獄を見ることになるとは思わず…。

先ず今回のラストライブの反省点を先に述べると、曲を欲張り過ぎたというところにある。抽選曲を除いてアンコールを含めて15曲あり、抽選曲は9曲(当日演奏されたのはその中から2曲)。つまり24曲を僅か1ヶ月ちょっとで仕上げるという、多分プロでさえ無理な内容をこなさなければならなかった(ちなみにその前日に行われた「卒業を祝う会」ではそれらとは別の2曲を演奏した)。

とはいえ良い勉強にはなった。プロがいかに凄いのか、ライブの運営やPAの難しさなどを身をもって体感した。またこのバンドは長らくインストバンドとしての活動だったが、今回初めてヴォーカルとストリングスを追加し、メンバー全員のやりたいことを沢山詰め込んだライブだった。演奏した曲などについては、ライブのプログラムを載せておくのでそれを見ていただけたらと思う。約2時間のワンマンライブ。文化祭の30分すら前代未聞だったのに、それを遥かに凌駕する内容にメンバー一同、心が折れそうな時もあった。それでもなんとかやり切った。

バンド活動を始め2年、それ以前も含めると2年半。あっという間の日々だったが、これまで観に来ていただいたお客さんや運営などに携わっていただいた生徒会の皆さんや先生方、そして顧問の前田先生など多くの人に支えられたからこそ、ここまで来れたと思う。この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。我々6人は今までへの感謝を抱きつつ、得た経験を更に昇華させるべく次のステージへ歩みを進める。

P.S.先日のライブこそラストライブと銘打ったが、誰もこれで終わりとも、解散とも言っている訳ではない…。また会う日まで。

ピアノやキーボード、ピアニカ、ギター、編曲などを担当した五十嵐さん。
ピアノやキーボード、ピアニカ、ギター、編曲などを担当した五十嵐さん。

「編曲日記」(執筆:竹葉さん)

さて、私の方は編曲日記と題し私たちが演奏した曲に関しての思い出や編曲の事に関して述べていこうと思う。全曲あるので長くなってしまうが、是非最後まで読んでほしい。

記念すべきデビュー曲は「夜に駆ける」。流行りの曲を演奏したいと思ったところ突如として五十嵐が6/8拍子のアレンジを思いついたとのことで決まった。当時五十嵐はPC未所持で、691*324唯一の手書きの譜面が使われた。書いた本人も苦労しただろうが、私も読解するのに少々苦労した覚えがある(苦笑)。

そしてお次は「丸ノ内サディスティック」。五十嵐の椎名林檎好きに影響されてこの選曲になった。最初は楽譜がなかったがライブバージョンでは違うアレンジがなされた為、五十嵐が楽譜を制作。スウィングか否かの差異があったためそれぞれ違う難しさがあった。

高2の文化祭では「聖者の行進」をやったが…正直メンバーはちゃんと覚えてない。これ以降の曲もそうだが基本ジャズ曲は楽譜がない。小節数だけ確認してあとは自由にやるという感じだ。

高2の三送会では「別れの曲」を五十嵐がボサノヴァにアレンジ。半音下げにしたことでフリューゲルの音色にあった雰囲気になり、前田先生もこのアレンジに対して高評価。そしてライヴで唯一3回も披露した「あいつら全員同窓会」。私が「ずっと真夜中でいいのに」が好きなのと、三送会と掛かってることから選んだのだが、まさかここまでメンバーに受け入れられるとは思っていなかった。私は原曲に忠実に楽譜を制作する方なのだが、この曲はドラムが難しく、自らの首を絞めてしまった…。

高3の新歓では最初に「宝島」をやりたいとなった時に「じゃあ面白そうだから新宝島もやればよくね」と安直な考えで選ばれた。バンド曲と吹奏楽で演奏される名曲と、新入生に知ってもらういい選曲になったと思う。

高3の文化祭。1つの有志団体で30分超えの演奏の最初を飾った「ルパン三世のテーマ」。吉田がこのくらいの年代の曲が好きなのも相まって選曲に至った(本当はコーラスを入れたかったようだが…)。トランペットのハイトーンがキツいが、全体的にどのパートも演奏しやすい編曲で1番完成度が高いと思う。

「枯葉」はジャズバンドとしての側面も残しつつあったので4人でやった。後に音楽科主任の國分先生から提案があったのだが、客にスウィングとボサノヴァを選ばせるということもやった方がよかったかもしれない。

「ハローキティ」はその名に反して間奏がかっこよく、バンドに適してると思い竹葉が編曲。明るさ全開の曲は意外とこの曲くらいかもしれない。

「人生のメリーゴーランド」は練習の合間にたまにノリでやってたりしてたのでその名残で演奏した。五十嵐がピアニカを購入したことで、イントロがどこか儚い感じを上手く表現できていて感激した。

「情熱大陸」は各楽器のソロ回しも入り、それぞれが目立つ編曲を五十嵐がしてくれた。7分近い曲なので渡邉のスタミナを保つために当日は練習しないように配慮される。

最後にラストライブで演奏した曲。「SUN」はいくつか候補曲があった中で1番カラオケの点数が高かったものが選ばれた。ゆっくりなので簡単かと思いきや意外とギターが細かくて吉田が苦労していた。

「魔王」は五十嵐がタンゴバージョンに編曲。ピアノは難曲とは思わせないかっこいい仕上がりになったが、当日のリハまで「これはまずい」という感じになっていた。それでも彼らは本番でめげずに演奏し切った。

「長く短い祭り」は初期メンバーで出来るものをやりたいとなって3人ともよく知っている曲が選ばれた。シンセサイザーの音選びはいつも五十嵐自身でやるのだが、特段機械に強いわけでない彼がどうしてこうもピッタリな音を探せるのかは謎である。

「Splattack!」は初めて五十嵐がギターをやるということで、ツインギターを考慮して私が編曲した。実はこの曲だけ11月下旬には楽譜ができていた。これはクリスマスコンサートを開催しようとしていた影響によるもの。

ライブでは自作曲もやったがそれぞれ書きたいことが山ほどあると思うのでこれはまたの機会にしよう。

最後に「SING SING SING」。春原がたまたま吹奏楽版の楽譜を持っていたのでそれを元に楽譜が作られた。五十嵐考案のピアノの難しいソロをそのまま楽譜に記したためか弾いてくださった前田先生は相当練習したようで、一曲のために1時間くらい208教室に篭ってデモ音源と睨めっこしていたこともあったようだ。教員という括りに囚われず、一緒に音楽を創る仲間のような存在でいてくれて本当に感謝している。

私と五十嵐の楽譜制作にかけた時間は冗談抜きで累計100時間を超えると思う。もちろん自分たちの演奏するものなので無賃金だった。ただ、どんな曲でも数時間は絶対にかかるので、もし周りの人に楽譜制作を頼むときは、感謝をちゃんと伝えてくれればと、私たちは願うばかりだ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
691*324

ドラムやトロンボーン、編曲などを担当した竹葉さん。
ドラムやトロンボーン、編曲などを担当した竹葉さん。